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刑部城跡

  • 城跡に残る金山神社

”駿府城を拠点とした今川氏は、一時、戦国の雄として絶大な力を誇っていました。岡崎城主、松平氏の跡取り、徳川家康は、子供のときに今川氏に人質にとられており、駿府で過ごしていました。しかし、永禄3年(1560年)上洛を目指した今川義元が桶狭間で織田信長に討ち取られると、岡崎城に戻り武将として独立。天下取りに乗り出し、永禄11年(1568年)今川氏が制圧していた遠江へ侵攻。今川勢を駆逐しながら、引間城(のちの浜松城)、そして掛川城を目指しました。刑部城は、その過程で陥落した小城です。
徳川軍は、まず井伊谷城を攻略します。直虎が城主になっていましたが、このときは、井伊家家臣の小野和泉守に井伊領を横領され、城を出ていました。小野道好は敗走した後に、家康の支援を受けた井伊衆に捕らえられ磔にされました。
井伊谷城を奪うと、徳川軍は、三方を都田川に囲まれた要地に今川氏が築いた刑部城も落しました。勢いに乗る徳川軍の攻撃に、あっけなく陥落したといわれています。
家康は遠江侵攻を成功させて引間城を落とし、浜松城を築きます。その影には、井伊家にも被官していた”井伊三人衆””と呼ばれた武士たちの活躍がありました。彼らはいち早く今川氏を離れて家康につき、案内役になるなど、手助けをしたといわれています。
刑部城は、永正10年(1513年)今川氏のライバル斯波氏の家臣だった当時の井伊家の当主、直平が籠城した三岳城を今川氏が攻め落としたときの足掛かりにもなりました。また、元亀3年(1572年)武田信玄が三方原の戦いで家康に勝利したあと、ここにしばらく滞在したともいわれています。
城跡は、深い竹藪のなかにあります。一角に金山神社があり、ひとつの悲話が伝えられています。
城が落ちたとき、城主の美しい姫が敵にかかって恥をさらすことを厭い、城のそばの池に身を沈め金襴の蛇に姿を変えたというのです。
その池は埋め立てられ、今はありません。”

基本情報

住所 〒431-1304
静岡県浜松市浜名区細江町中川5580 地図を表示
電話番号 0535224720

その他情報

アクセス・交通機関 ■新幹線
浜松
浜松市駅北口バスターミナル⑮のりばから気賀行きバスで約60分、「落合橋」下車、徒歩5分
■東名高速道路
舘山寺スマートIC
県道49号経由約10分
■その他
天竜浜名湖鉄道「気賀駅」から徒歩10分

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